三重県芦浜原発ができなかった理由が、
『原発問題によって長年にわたり、住民は、分断され、日常生活に
支障をきたす苦悩を味わわされたが、これを解消するためには、原発計画を
白紙に戻す必要があるため』
だったとは、知らなかった。
この考えを実践した人が、地域の歯科医師であり、その後の三重県全体への
運動の広がりを収束した、三重県知事(北川氏)の考えであったことが
あらためてわかった。
地域住民の幸せを第一として地域に密着した考えを実践していくことが、
結局、中部電力の原発計画断念を勝ち取った、という経緯がわかった。
今後の反原発運動のひとつの教訓を与えるものとして、少し長いが
是非最後までご覧いただきたい。