朝日新聞(2011/11/25)によれば、
裁判所は、『無主物の責任』には、直接触れなかったようだ。
『汚染の除去』が焦点となったようだが、
東電は、相変わらず『無主物の責任』をかざして、責任逃れだが、
裁判所は、『国が立法を含めた施策を講じている』から、
それまで待て、というだけのようだ。
肝心の『汚染の除去』責任の有無は、国の施策とは関係なく
行政と独立した司法として結論を出すべきものと思うが、
これを逃げた、としか言いようがない。
広島原爆投下時、軍医として現地で救済に尽力された肥田舜太郎医師(94)によると、
今の政府の対応は、当時の日本政府以下だという。
“福島原発事故による汚染放射能除去責任は、東電にないのか?・・・その2” への13件のフィードバック
長生きしてえなぁ…
忌野清志郎のラブミイテンダーの最後のフレーズだったかな。
諦めたら負け。今の子供、未來の子供に申し訳ない。
出る杭は打たれる。昔からそう。だから、出る時は一気に一致団結で、奴らに打たす隙を与えぬよう。未来に向け上げる速度と己の志の温度。
同感!
浅い知識でのコメント失礼します。
核のゴミ(これだって放射性物質を出し続けている)を東電は資産として(再利用の見込みも、安全な処分地もないのに)計上して、電気料金にのせていると聞きました。
それなのにここで、「無主物の責任」をかざして責任逃れなんて。ある時は「資産」だといって(電気料金にのせる形で)利用者から金を取り、ある時は「無主物」と言って賠償金を払わない、責任も認めない。
司法は、正義ではなく、国や東電を守る役人集団に成り下がってしまったのでしょうか?賠償出来る出来ないはともかく、非のありなしを明言しないのはやっぱりどうかと思います。
実際、国にも東電にも到底賠償できる被害ではないでしょう。でも、非を認め、緊急に手を打つべきは打って、あとは国、企業、国民、みんなが一体となって出来ることをコツコツしていくしかないと思います。
私たち人間が到底手に負えないほど害のある、処分できない、無主物の、放射性物質を出してしまう原発は、作っている東電が「無主物だから」と責任放棄する以上、やっぱり始めから作ってはいけないと思います。
賠償金で済む話でもないけれど、東電が責任を認めず、誠意も全く見られず、お仲間に守られてぬくぬくとしているようで、やっぱり嫌な気持ちになります。
賠償請求も国内外含めものすごい数と聞いています。たまたま今回のことはニュースになったけど、これを認めると、他の裁判にも支障が出るから今回のような流れになるんでしょうね。
それでもやっぱり、ニュースになってよかった。もっと取り上げるべき。
それにしても、一般的な工場の火災などとは次元の違う代物です、原発は。
「きっちり責任を取れないものは作らない」という法律はないのでしょうか?
人類がその危険度とエネルギー強度を無害となるレベルまで
自由にコントロールすることのできない危険物質を無責任に作り出して
利用したところに、原発の矛盾・問題点があったと思います。
ひとことで言えば、おっしゃるとおり
>「きっちり責任を取れないものは作らない」
これが基本原則です。
『無主物の責任』論に見られた東電の詭弁体質が、
『原発安全神話』も作り上げてきたのだ、ということが
この件でよくわかりました。
まさに、そのとうりですね。
国の無能な対応に国民がなぜ?怒らないのか?不思議です。
少子化もそう
除染もそう
国のかじとりが?
ここまでおかしいのに
本当に残念です。
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こちらでもコピペさせてください^^v
ありがとうございます。
どうぞ、ご利用ください。
今までは、力の弱い四大公害病は「水俣病」「新潟水俣病」「イタイイタイ病」「四日市ぜん息」はその原因の企業チッソ・三井金属工業の神岡鉱山・カネミ倉庫・三重県四日市市の石油コンビナートが負担したが、
力の強い支配者=東京電力は、負担を回避できるというのだろう。
パラダイムの変換という、支配者=東京大学法学部は、都合よく理論を変えてくるのが分かった。
これでは、日本は、マトモな裁判も期待できない。
パラダイムの変換で、東京電力への損害賠償請求は全部負け(棄却)される。
おっしゃるとおり、日本は、どうしようもない状況にきています。
しかし、おかしいのは、どうやら日本だけではなさそうですね。
西欧の債務危機、アラブの春、米中の貧富格差問題などなど、
ここへきて、世界中のウミが、一気に吹き出してきた、とも言え
ると思います。
この世界中の諸問題の原因は、多岐にわたると思いますが、
これらの問題が、同時多発的に顕在化してきた、ということは、
その根底に横たわる根本原因には、なにか共通の要因があるの
じゃないか、と類推することもできるわけです。
大切なことは、この『共通要因』が何であるのかを、国民一人
一人が自分の頭でよく考えて、見つけ出そうと努力すること、
だと思います。
『原発安全神話』に象徴されるように、私たちは、ウソ八百に
囲まれて騙され続けてきた過去を思うとき、世の識者の説明も
傾聴する必要があると思いますが、同時にその説明すべてを、
疑ってかからなければならない、ということでもあります。
特に、いろいろ複雑怪奇なことを言って、『したがって、
こうするべきだ』と結論づけたものについては、その中に
ウソ八百はないのか、慎重に点検する必要が、おおいにあり
ます。
多くの場合、本当は、そんなに複雑なことではなく、きわめて
単純な答えである場合が多いので、疑ってかからなければなら
ないわけです。
ここで、整理してみたいと思いますが、私たちの問題点を
あげると次の2点になると思います。
① 私たち一人一人の過去を振り返って見ると、実は、
この様な人類の諸問題について、あまり深く考えようと
していなかった。
早い話、無関心、が多かった。
② そして、問題が顕在化(大震災を契機に、原発の弱点が
露呈された)してから、『原発安全神話』はおかしい、
などと、騒ぎ出した。
以上から言えることは、国民一人一人が、人類の共通課題に
対して自分の頭で冷静に考えて、理解して、自分なりの結論を
持って納得の上で、各自が行動する必要がある、ということ
だと思います。こうすれば、自ずと、何をなすべきか、が
自然に明らかになり、自信をもって行動に移すことができる
ようになるでしょう。
ややもすると、他人任せ、といいますか、みんながやるから、
よくわからないが、ついていこう、というのが、最も問題で
しょう。
これは、日本人ばかりではなく、人類共通の課題だと思い
ます。
何か出来る事は無いですかね?
電気料払わなくても3ケ月たったら止められてしまうから、
結局払う事になるんでしょ?
供託っていうのは?月曜日になったら、法務局に行ってみます。
あと、デモとかイベント出来るだけでます。
他に、出来る事あったら教えてください。
Facebookのページでシェアさせていただけますでしょうか?
ある意味東電の主張は的を射てますよ。彼らの思想と主張は提起された訴訟に委ねればよいわけで、そこで民主的に決定された時点でその責任を認めるに足るものであればそうすればよい訳。最初からその責任を認めなければならない等と卑屈な考え方をしなくてもよいのです。最初から認めなければならない状況にあってそれを選択するなら訴訟を回避すればよいのです。東電としても遣ってみなければわからないとして対抗したのでしょう。今回の対向処置は彼らの権利なのです。けれどもそれが問題ではありません。裁判所の問題なのです。朝日には主問題から裁判所が逃げたと表現している通り、何か最近の裁判の裁判所の対応に問題をズラシたりが多過ぎることに違和感を覚えるのです。これの根底には判事も中央にしか目が向いていないし、裁判所も小役人の集団にしか過ぎないから、社会にとっては重要な問題であればある程己に置き換えて出世と天秤に掛ける訳。でも社会正義の欠如って特に裁判所にそれが蔓延しているのには困りものですねー。
世の中のムードは東電と国(政府)が極悪人だとの図式でまっしぐらって構図は、毎回何か問題が起きれば一直せ―んと言ったこのお国の方々が陥る精神構造そのもので、相変わらず今回もその亡霊を払拭できないものですね。この傾向ってDNAに刷り込まれているのかもしれません。確かに一義的には警告があったにもかゝわらず何の対策をも講じようとしなかった点にその責任があるのですがね。でもこゝで最も責任を負わなければならないのは政府なのです。政権交代があったから今は民主党政権に矛先を向けているけれどこれがそれ以前の政権であったとしてもあまり変わらない轍を踏んでいたとは容易に想像出来ますが。今の世のムードは東電を第一義の悪魔にしたいだけなのです。こんな表現を致しますが決して東電は被害者でもなければ誉められたものでもありえません。この会社は法的整理をするのが適切な処置だと思います。消滅させるべきなのです。特にあつかましい経営陣は重大な事件を起こしたものだから本来は今頃獄に繋がれていて当然だと考えるのですが特に勝俣って会長は刈谷崎原発の事件でも相応の責任を取っていないで居座っている却って出世しているのですぞ。これっておかしい現象じゃねえ?