周知のように、一票の格差を理由とした選挙無効訴訟が全国で行われ、
最近、立て続けに、各地高裁から判決が出て騒がしい。
3月25日には広島高裁から、『広島1、2区の選挙無効』判決が、
続いて、3月26日には、広島高裁岡山支部から、同様の無効判決(猶予ナシ)が出た。
『一票の格差』だけで、なぜ、そんなに騒ぐのか、判決理由のひとつとして
高裁があげている最高裁大法廷の判決(平成19年6月13日および平成23年3月23日)を
よく見た。
驚くなかれ、そこには、憲法の求める選挙民の投票価値の平等を得る権利を損なう
選挙制度を国会が制定することを最高裁として容認する重大な憲法違反解釈が、
堂々となされているではないか。
どうやら、『一票の格差』問題は、選挙制度の本質問題を覆い隠すスケープゴートの位置
づけのようだ。
以下、この最高裁判決から、明らかとなった『一票の格差』問題よりも、はるかに罪の重い
判決理由に書かれた国民の権利を侵害する違憲解釈と、これが支援する『小選挙区制』の
違憲性について糾弾したい。
1 憲法の求める『選挙権の内容の平等』に対する違憲解釈と
悪政『小選挙区制』防衛の予防線も
本判決は、全体を通して読むと、なぜか『一票の格差』問題に終始しており、選挙権の本質
に迫る議論は、なかった。
憲法第14条には
『すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、
政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない 』
とあるが、最高裁判決では、選挙権に対して憲法第14条が求めるものを、『選挙権の内容
の平等』としてとらえているが、これを、 『投票価値の平等』と言いかえている。
この『投票価値の平等』の解釈において、最高裁は、国民の権利を侵害する重大な
違憲解釈を次のように堂々としている。
『(2) 憲法は, 選挙権の内容の平等, 換言すれば投票価値の平等を
要求しているものと解される。 しかしながら, 投票価値の平等は
選挙制度の仕組みを決定する絶対の基準ではなく, 国会が正当に考慮す
ることのできる他の政策的目的ないし理由との関連において調和的に実現
されるべきものであり, 国会が具体的に定めたところがその裁量権の行使
として合理性を有するものである限り, それによって投票価値の平等が
一定の限度で譲歩を求められることになっても, やむを得ないものと
解される。』
つまり、簡潔に言えば、
『憲法の要求する選挙権の「投票価値の平等」は、絶対的なものではない。
したがって、選挙制度の仕組みを決定する際には、その他の政策的目的などと、
同等に扱って良いものであり、総合的に検討して国会の裁量権内で決めたもので
あれば、多少、投票価値の平等の権利が侵害されても、やむを得ない。』
というわけだ。最高裁としてよくもここまで憲法否定していたとは、今更ながら驚く。
まさに、『無理が通れば道理が引っ込む』の『悪の論理逆転』だ。
憲法が『投票価値の平等』を求めている以上、まずは、『投票価値の平等』を絶対的
基準として、これを実現するための選挙制度の仕組みは、いかにあるべきかを考えて
作るということが先決なのではないか。
そして、そのように、国会が作用しているのかどうかを審判するのが、最高裁の役割であり、
責任ではないのか。これは、最高裁の責任放棄以外の何者でもない。
この解釈は、明らかに国民の基本的人権の侵害であり、憲法違反と断定できる。
この論法でいけば、憲法上の都合の悪い重大な規定は、すべて、『絶対的なものでは
なく、国会の裁量権内で決めていけばよいのだ』という、憲法否定論がまかりとおる
こととなり、無法国家の誕生だ。
そして、この『投票価値の平等が、一定の限度で譲歩を求められることになっても、
やむを得ない』制度こそ、問題の『小選挙区制』という選挙制度であり、まさに憲法違反の
選挙制度なのだ。
この小選挙区制の問題点を擁護するために、さらに『投票価値の平等』を実現すること
はむずかしいので、いい加減にやってもいいのだ、ともとれる記述が続く。
最高裁の無責任感が丸出しだ。
『(5) 国民の意思を適正に反映する選挙制度は, 民主政治の基盤である。
変化の著しい社会の中で, 投票価値の平等という憲法上の要請に応えつつ、
これを実現していくことは容易なことではなく、 そのために立法府には
幅広い裁量が認められている。』
2 小選挙区制の違憲性
図1 円グラフの内側に、今回の2012衆院選・小選挙区での政党別獲得議席数
配分率を示す。外側の円グラフに、『投票価値の平等』を実現するものとして、候補者は
同じとして、選挙区だけを小選挙区から都道府県単位に拡大し、現行定員300名を各都道
府県に人口比率で按分し、各選挙区内の当選者は、得票数比例配分で算出したもの
を示す。
こうしてみると、『小選挙区制』が、『投票価値の平等』と比較して、極めていびつな形と
なっていることがわかる。
『投票価値の実現』は、むずかしいと言っているが、何の問題もない、ばかりか、
小選挙区制が、いかに民意をねじまげているのか、一目瞭然だ。
この円グラフが、まさに、小選挙区制の違憲性を証明する。
3 得票率と議席占有率の乖離・・・小選挙区制のバブル効果
『小選挙区制』は、周知のとおり、定員1名の選挙だ。つまり、当選者以外への投票は、
すべて死票となる選挙制度のことだ。『一票の格差』問題で問題視している『4.99倍の
格差』どころの問題ではない。
『1』か『ゼロ』か、生きるか死ぬか、『生き票』となるか『死票』となるかの問題だからだ。そして、得票率が少なくても、Topでありさえすれば当選するのが小選挙区制。
今回の自民党のように4割程度の得票率でもTopであればすべて当選となり、
全体の8割の議席が確保できる。わずか4割の民意で、8割の議席が
確保できる、とは、何かが狂っている、としか言いようがない。
民意を忠実に反映する選挙であれば得票率と議席占有率は、ほぼ同じになるはずだ。
ところが、2012衆院選小選挙区での自民党の結果を示すと図2となるが、
そうなっていない。
再度確認してみよう。図2を見ると、自民党の全国平均得票率は41.6%であるにも
かかわらず、全国議席占有率では、79%と約2倍となっている。
これだけでも、『小選挙区制』とは、狂った選挙制度と断定しうるが、
これが別名小選挙区制のバブル効果という第一党にとっては、何ともありがたい
フクラシ粉効果であり、温存したい制度なのだ。
しかし、これが、次に述べる膨大な『死票』を生む最大の原因となる。
4 『膨大な死票の発生』に対して最高裁はどう責任を取るのか
この結果、2012衆院選の小選挙区における死票数は、全投票数6166万票のうちの
半分以上の56.6%、3488万票にものぼった。この3488万票は、全部死票となった。
『投票の平等性』どころの話ではない。それぞれ希望の候補者名を心をこめて書いた
約3500万票すべてが死んだのだ。図3に2012衆院選の小選挙区における死票数と
死票率を示す。東京など大都市圏での死票が多いが、見るも無残な姿だ。
全投票数の半分以上の投票が完全に無駄に捨てられる選挙が、はたして民意を
忠実に反映した選挙だと言えるのか、
『極めて厳格な投票価値の平等性が求められる』選挙制度と言えるのか、
最高裁は、今一度、自らが書いた条件に『小選挙区制』が適合しているものかどうか、
再審する必要がある。
何度でも言うが、最悪の『投票価値の不平等性』を実現したのが、半分以上の死票を出した
2012衆院選(小選挙区)の結果であり、図1内側の異常に肥大した自民党79%の図だ。
そして、『投票価値の平等性』ある得票率比例配分の選挙制度の場合が図1の外側の図となる。
自民は、79% から 46% に減少し、その他の野党が、得票率に応じて議席を確保する形だ。
これで、議会制民主主義が正当に保障されることになる。
最高裁は、もはや、この『小選挙区制』の問題を避けて通ることはできない。
いくらゴマカシ予防線を敷いても、『小選挙区制の違憲性』を弾劾しない限り、
最高裁自体が弾劾裁判を受けることとなる。
これまでの小選挙区制の選挙のたびに、全投票の半数以上を占める膨大な死票を
発生させ続けてきたその責任も重大だ。
最高裁は、この『違憲選挙制度』に対してどう向き合おうとするのか。
歴史の審判がくだる前に自ら出すべきだ。
出典は以下のとおり。
2)平成22(行ツ)129 選挙無効請求事件
平成23年03月23日 最高裁判所大法廷 判決
3)平成22(行ツ)207 選挙無効請求事件
平成23年03月23日 最高裁判所大法廷 判決
4)平成24年12月16日執行 衆議院議員総選挙・最高裁判所裁判官国民審査 速報結果