2013年4月23日・24日の参院予算委員会での安倍首相の答弁は、
- 憲法前文の否定
憲法の前文に、『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した』とあるが 、自分たち国民の安全・命を他国の人たちの善意に委ねていいのか、このこと自体を疑問に思わない方がおかしい、というのが私の考え方だ。
これは現平和憲法の大原則を記述した平和主義を否定し、核兵器廃絶・軍縮と言う世界の流れに反する冷戦時代の力の論理の復元であり、果てしない軍拡競争へわが国をおとしいれる時代錯誤もはなはだしい危険思想だ。
- 歴史認識においては、『侵略とは、国と国との関係においてどちらから見るかということにおいて違う』などと、わけのわからない論法により、過去の植民地支配と侵略を反省した『村山談話』を否定、これは、同時に戦後60周年の同じく植民地支配と侵略を反省した小泉総理談話をも否定、
- 麻生財務相等閣僚の靖国参拝に対しては、『国のために尊い命を落としたご英霊に対して、尊崇の念を表する、これは、あたりまえのことであり、わが閣僚においては、どんな脅かしにも屈しないその自由は確保している』と、まさに憲法20条、89条違反の開き直り発言
と、安倍首相の耳を疑う思想をあらためて公開するものとなった。
東京新聞(2013年4月27日)によれば、
この発言の直後に、オバマ政権が、この安倍晋三首相発言や閣僚の靖国神社参拝に対して東アジア情勢の不安定化を招きかねないとして、日本政府へ外交ルートで非公式に懸念を伝えていたことが、4月25日に日米外交筋から明らかになった。
国務省のベントレル報道部長は『中国や韓国のように他国も懸念を表明している。各国間の強く建設的な関係が地域の平和と安定をもたらすことを、今後も訴えていく』と述べ、安倍首相に中韓を刺激しないよう自制を促した。
安倍首相は、26日、自らの発言について、『歴史認識に関する問題が外交・政治問題化することは
望んでいない』と述べた。
という。安倍さんの頭脳の中は、どうなっているのだろうか?
4月23日・24日の参院予算委員会にける安倍首相の具体的発言をインターネット国会審議中継より記録したものを以下に示す。
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次に、安倍首相の問題発言を扱った毎日新聞の社説を再掲する。
2013年04月26日 02時31分
安倍晋三首相が、先の大戦に対する歴史認識や、閣僚の靖国神社参拝をめぐり、耳を疑うような発言を繰り返している。
戦後50年の1995年の終戦記念日に村山富市首相(当時)が、日本の植民地支配と侵略を謝罪した「村山談話」について、安倍首相は「侵略という定義は、学界的にも国際的にも定まっていない。国と国との関係において、どちらから見るかにおいて違う」と国会で答弁した。
首相の発言が、日本の過去のどの行為を想定したものか、必ずしもはっきりしない。質疑の流れからすると、31年の柳条湖事件に始まる日中戦争は侵略戦争ではなかったと否定しているようにも受け取れる。朝鮮半島に対する植民地支配は侵略ではないと言いたいようにも聞こえる。いずれにしても村山談話に強い疑問を投げかけている。
実際、首相は村山談話について「安倍内閣として、そのまま継承しているというわけではない」とも語り、談話を踏襲するという当初の方針を軌道修正している。
「侵略」への謝罪は村山談話だけでなく、戦後60年の2005年に小泉純一郎首相(当時)が出した談話にも同じように盛り込まれている。
安倍首相は、戦後70年の15年に「アジアに向けた未来志向の談話」を出すつもりだ。その際、村山、小泉両元首相の談話の精神は受け継ぐが、日本の過去の行動が「侵略」だったかどうかという歴史認識までそのまま継承するわけではない、ということなのだろうか。
首相の軌道修正の背景には何があるのだろう。70%前後という高い内閣支持率に気をよくして、村山談話にもともと否定的な持論が顔をのぞかせ始めたのなら、見過ごすわけにいかない。「侵略」に関する国際法の議論がどんなものであれ、村山、小泉両元首相の談話が言うように、日本が過去に植民地支配と侵略をしたことは歴史的事実だ。首相がその歴史的事実を曲げようとしているのなら、問題だ。
首相は、麻生太郎副総理兼財務相ら3閣僚の靖国参拝に韓国や中国が反発していることについても激しく反論した。「国のために尊い命を落とした尊い英霊に対し、尊崇の念を表するのは当たり前のことだ。わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない」と語ったのだ。
確かに閣僚の靖国参拝に抗議して外相訪日を中止した韓国の対応は行き過ぎだ。だが「脅かしに屈しない」という首相のけんか腰の発言は、冷静さを欠いている。北朝鮮の核・ミサイル問題で日中韓の結束が求められているのに、これでは外交にならない。