日本人の限界?

日本人は、やはり、レベルが相当低いのかもしれない。
これは、総体的、平均的な意味だが、
野田さんが、やりたい放題やっても、怒らない。

昨年の3.11東日本大震災においても、日本人は怒らなかった。
そのため、海外からは、『日本文化のあらわれ』として、敬意をもったまなざしで
見られた、と思うむきが多かった。

しかし、その実態は、他力本願だった。
政治自体も他力本願。

誰かが、助けてくれるだろう、という他力本願。

しかし、最近になって、さすがに日本民族も、『原発再稼動?』、
これはおかしい、と気がつくようになってきた。

その表れが、毎週金曜日の脱原発のデモ。

しかし、これも、『脱原発』だから、できているのかも知れない。

そうだとするならば、他の、ありとあらゆるわが国の問題が、
同根のものであり、その根が深いのだが、
『脱原発』だからこそ、一致してできるのだ、
という感覚だとすれば、これは、また、一過性に終わると危惧する。

しかし、このレベルの低さは、日本人だけではなさそうだ。

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日本人の限界?」への2件のフィードバック

  1. 匿名

    民意自体は脱原発なのですが議論のレベルが総じて低いっていうのがありますね。
    日本人の議論全般なのですが、中には精神論のようなものまで含まれていたりとか。
    小さいころからディベートの訓練が必要ですね。

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    1. admin 投稿作成者

      そうですね。ディベートとは、Wikipediaによると、『異なる立場に分かれ議論すること』とありますが、問題は、この『異なる立場』そのものが、いくつあるのか、わかっていない。

      というか、それぞれの中身自体からわかっていない。だから、ディベートのしようがない。

      『異なる立場』とは、早い話、異なる意見・主張ですが、それ自体が、いくつあって、それぞれの内容、それもそれぞれが歴史的経緯を持っているわけですから、それぞれの歴史の把握も含めた内容の理解が必要となる。

      私が思うに、そのような多面的教育、すなわち、多数の異なる考え方があって、それぞれ歴史的経緯は、こうこう、であって、したがって、一概に、○○が良いとは言えないのだ、といったような教育がなされてこなかったこと、いやむしろ、画一的つめこみ暗記教育一辺倒だったため、自分で調べて、かつ考える、という最も人間的な行動のできない民族へと退化してしまったんだと思います。

      これは、この教育と、もうひとつ、アホバカテレビ、40年前の言葉で言えば、テレビの『一億総白痴化』戦略の結果だと思います。その最たるものが、『原発安全神話』であり、推進番組は偏向報道とエンタメ・食番組でしょう。

      返信

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