『福島県民の悲惨な実態』 解決のためには

みなさん、本サイトの前回の投稿:

国もマスゴミも一切報道しない・・・福島県民の悲惨な実態・・・われわれ何をすべきか

をご覧になられたでしょうか?

なぜ、福島の悲惨な事態は起こってしまったのか・・・

これを事前に回避することはできなかったのか?
その重大な要因は何だったのか?

ここで、もうひとつの本サイトの投稿:

20120629 三重県 芦浜 原発ができなかった町の今は 中部電力

をご覧ください。

三重県芦浜の場合は、原発誘致運動が、1960年代と、1980年代の2度にわたって
展開された。

1回目は、漁師が大規模な漁船団による原発反対海上デモを展開し、
その導入を阻止した。

当時は、全国的に、もちろん、福島原発も含めて、導入ラッシュの時代だった。
ほとんどの自治体は、原発安全神話にのって、受諾していったが、芦浜は、
敢然と拒絶した。

その後、1980年代に再び、誘致運動が展開された。このときは、隣町も賛成に
まわり、親戚間でも、対立が深刻になるなど、地域社会が破壊され、
反対運動も一時劣勢となったが、
一人の歯科医師の原発反対運動から、広がりを見せたと言う。

それは、何だったのか?

ある漁師の患者が、その歯科医師を訪れた。見ると前歯折損だ。どうしたのか聞くと、
原発推進派の漁師から殴られた、という。

歯科医師は考えた。
『原発計画が地域破壊の原因であるなら、それを取り除くことから始めないと』
そして、反原発県民署名:『三重県に原発いらない 県民署名』を展開した。
半年後の、1996年5月には、80万人の署名を達成した。三重県民の過半数以上
だった。

この重い署名を受けたのは、北川三重県知事だった。
北川さんは、地元住民や、賛成・反対の意見を聞いて歩いた。
その結果、

『地域住民を苦しめ、地域社会を破壊する芦浜原発計画は白紙に戻すべきである』

と集約し、芦浜原発計画は撤回された。

苦しい闘いをやりぬいた三重県民の努力が、現在の三重県を作ったと言える。

『芦浜原発闘争33年終止符運動』は、自らの命を守るためには、闘わなければ
いけない、ということを教えた。

福島県民の悲惨な実態を解決するためには、そして、近い将来のわれわれ自体の
被害回避をはかるためには、日本国民は、ともに声を大にして闘いに参加する
以外に方法はない。

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